未来都市創造に関する特別委員会 実地視察

未来都市創造に関する特別委員会 実地視察

下谷上農村歌舞伎舞台(※国指定重要有形民俗文化財) → 西国街道(兵庫津~元町)・湊川神社内 → 花隈城跡
・農村歌舞伎について
北区には、地域の貴重な文化遺産である農村歌舞伎舞台が点在しています。戦前までは活発に農村歌舞伎が上演され、農村地域の住民による地芝居も盛んでしたが、戦後は演じられる機会が減少していました。
北区では現存する農村歌舞伎舞台の保存・継承・演じ手に対する育成の場の提供および農村と都市との交流の喚起を目的として、平成 26 年まで毎年 4 月に農村歌舞伎上演会を開催してきました。平成 27 年度以降は農村歌舞伎上演団体が主催となり、秋に農村歌舞伎舞台での上演会を開催しています。
(下谷上農村歌舞伎舞台)
江戸時代後期の 1840 年に建てられた、間口が約 12m、奥行約 8m の農村歌舞伎舞台です。花道の一部が反転して反り橋が出現する舞台機構を備えています。規模と舞台機構の多彩さ精巧さが評価され、国の重要有形民俗文化財に指定されています。・西国街道について
西国街道は、古代には山陽道といわれ、日本の中心であった都と朝鮮半島との玄関口であった九州の大宰府とを結ぶ一番重要な幹線道路として発展し、多くの人物が往来するとともに、物資が流れ、情報や文化の伝播を担う動脈となっていました。その後、近世には、畿内と西国(九州の小倉)とを結ぶ道としてにぎわいを見せていました。街道の道筋自体は変わってしまったものの、西国街道の周辺には昔の雰囲気をしのばせる神社や仏閣、そして道標が多く残っています。・花隈城跡について
花隈城(別名:花熊城)は、天正年間はじめに織田信長の命により荒木村重により築城されました。
本丸・二の丸・三の丸からなり、周囲に侍町・足軽町・町屋があったとされています。その後、天正8(1580)年に、村重が信長に背いたため、池田信輝、輝政父子の軍により攻撃され、わずか数年で廃域となりました。廃城の後、兵庫城築造のため石材が抜かれたと伝えられており、現在、その痕跡は全く残っておらず、現在では位置等も推定されるだけの幻の城となっています。現在、花隈駅前にある花隈公園は近年つくられたモニュメントで、実際の花隈城と直接の関係はないものです。(※築城時期等については諸説あり。)
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